南無阿弥陀仏について学ぼう

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Archive for the ‘南無阿弥陀仏とは’ Category

9月
2

南無阿弥陀仏 大宇宙の諸仏が絶賛

みどり | 南無阿弥陀仏とは, 未分類

「南無阿弥陀仏」の六字を名号という。この南無阿弥陀仏を見て、「何のまじないですか」と聞く人もあれば、「南に阿弥陀仏が無い?弥陀の浄土は西だから当然じゃろう」と嘯く者もいる。だが名号六字の大功徳は、迷った人間の智恵では分からないのだ。

 釈尊は『大無量寿経』に、こう説かれている。

「十方恒沙の諸仏如来、皆共に、無量寿仏の威神功徳の不可思議なるを讃歎したもう」

「十方」とは十方微塵世界の略で、大宇宙のこと。

「恒沙」とは、インドを流れるガンジス川の砂の意で、その数は無限といっていいだろう。広大な宇宙には、地球のようなものは無数にあり、地球に釈迦如来が現れたように、大宇宙には数限りもない仏がましますことを、「十方恒沙の諸仏如来」と言われている。

「皆共に」とは、すべての仏が例外なく。

「無量寿仏」は阿弥陀仏の別名で、

「威神功徳の不可思議」とは、想像もできない凄い働きのある名号のことである。

 だからこの一文で釈尊は、大宇宙にまします数え切れないほどの諸仏方が異口同音に、阿弥陀仏のつくられた「南無阿弥陀仏」の想像を超えた大功徳を褒め称えていられると、おっしゃっているのである。

仏さまですら「不可思議」と言われるほど、偉大な働きが名号にはあるのだ。

 蓮如上人は、これを『御文章』に分かりやすく教示されている。

「『南無阿弥陀仏』と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大なること更にその極まりなきものなり」

「南無阿弥陀仏」の名号は、たった六つの文字だから、そんなに凄い力があるとは誰も思えないだろうが、それは猫に小判、ブタに真珠。我々凡夫に、値を知る智恵が無いからだ。
 この六字の名号の中には、私たちを最高無上の幸福にする絶大な働きがあるのだ。その広大さは、天の際限のないようなものである、と懇切に仰せである。
 蓮如上人ご自身が何よりも明らかに知らされたことだが、「この蓮如は」とは言われずに、名号の大功徳のみを言葉を尽くして讃嘆なされているのは、親鸞学徒に徹していられたからであろう。

 では、一切の諸仏が絶讃する「南無阿弥陀仏」には、どんな力があるのか。
 それこそが、全人類の苦悩の根元である無明の闇(後生暗い心)を一念でぶち破り、破闇満願、絶対の幸福に救う、不可称不可説不可思議の大功徳なのである。

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7月
9

南無阿弥陀仏について

みどり | 南無阿弥陀仏とは, 南無阿弥陀仏・雑談

人は『生きるのは何のため?』『生きるとは?』『死んだらどうなるの?』など、そういったことを一度くらいは考えたことがあるかと思います。
なぜ生きているのか、生きるとはどういったことなのか、私は親鸞会の人と知り合ってから、そういったいろいろなことを教えていただく機会に恵まれました。

その中でも因果の道理・因果応報という教えはすごく衝撃的でした。今の時勢、善人がしいたげられ、悪人がのさばっている事が多いですよね。何が善くて何が悪いのかなんてわからなくなってきていますが、悪いことをした人への報いというのは必ず現れるというのが
因果の道理、因果応報ということです。仏さまの眼から見られれば、善い行いをすれば善い結果がくるのは当たり前であり・・・悪い行いをすれば、悪い結果を受けるのも当たり前なのです。

良い行いをしていれば心が変わります。たとえ生活は豊かではなくても今の瞬間を『ありがたい』と思いながら生きることができるのです。お釈迦様の説かれます『因果応報』とは実践をもって本当の意味がしらされるのだと少しずつですがわかってきました。

さて、南無阿弥陀仏の話に戻りますが、『大無量寿経(佛説無量寿経)』には、この世で阿弥陀仏に救われて、『南無阿弥陀仏』とお礼の念仏を称える身になれば、いつ死んでも阿弥陀仏の浄土へ往って、阿弥陀仏と同じ仏として生まれることができると説かれています。

それはなぜかというと、阿弥陀仏が48の誓願『四十八願』を建立し、その中でも特に18番目の願である本願にそのようにして見せると誓われたのだそうです。

南無阿弥陀仏について書いていますが、以前は、言葉だけ知っていて、南無阿弥陀仏がこんなにも深い言葉だとは夢にも思いませんでした。
学んだことを今後も書いていきたいと思います。

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6月
23

南無阿弥陀仏・信心

みどり | 南無阿弥陀仏とは, 南無阿弥陀仏・雑談

『南無阿弥陀仏』とえば念仏を思い出す人が多いと思います。
でも念仏という言葉は有名ですが、念仏ってなんなのでしょう?
南無阿弥陀仏と一度でも称えたら極楽へいけるなどと耳にしたことがありますが、
本当なのでしょうか?

親鸞聖人の教えをそのまま伝えられた蓮如上人は御文章に
分かりやすく教えています。

「名号をもって、何の心得も無くして、ただ称えては助からざるなり」(一帖十五通)

「ただ声に出して念仏ばかりを称うる人は、おおようなり。それは極楽には往生せず」
(三帖三通)

「まず世間にいま流布して旨と勧むるところの念仏と申すは、ただ何の分別もなく南無阿弥陀仏とばかり称うれば皆助かるべきように思えり、それはおおきに覚束なきことなり」
(三帖五通)

このような証文は、まだまだたくさんあります。
「ただ念仏さえ称えていれば助かる」というのは、間違いということがよく分かられると思います。
また後で詳しく書きたいと思いますが、念仏は阿弥陀仏に救われたお礼の言葉なのです。

親鸞会の人と友だちになってから、南無阿弥陀仏について考えるようになってきました。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と仏壇の前で称えていて、地獄極楽について語るおばあちゃんの傍で育ってきた私は、南無阿弥陀仏なんて言葉が到底理解できないような頃から聞いていたので、何の違和感もなく聞き入れていました。今となってようやくその意味が少しずつわかり、おばあちゃんは私にこう言ったことを伝えたかったのかな?という気がします。

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5月
13

南無阿弥陀仏・六字の名号

みどり | 南無阿弥陀仏とは

南無阿弥陀仏について、お釈迦さまはこう教えておられます。

【十方恒沙の諸仏如来、皆共に無量寿仏の威神功徳の不可思議なるを讃歎したまう】

『大宇宙にましますガンジス河の砂の数ほど沢山の仏方が、異口同音に阿弥陀仏の作られた「南無阿弥陀仏」の名号の、想像できない大功徳を褒め称えておられるのだ』

すでに阿弥陀仏は『南無阿弥陀仏』を完成させていることがわかります。
なんといっても、どこかの誰かが言ったことではなく、お釈迦さまのお言葉ですからね。親鸞聖人は、弥陀が完成なされた、この『六字の名号』の大功徳を、『功徳の大宝海』とか『本願の大智海』とも『正信偈』に讃嘆され、蓮如上人は平易に、こう詳解されています。

【「南無阿弥陀仏」と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大になること、更にその極まりなきものなり。(御文章)】
『「南無阿弥陀仏」といえば、わずかに六字だから、それほど凄い力があるとはだれも思えないだろう。だが、この六字の中には私達が最高無上の幸せにする絶大な働きがあるのだ。その広くて大きなことは、天の際限のないようなものである』と書かれているのです。

これは前回にも紹介した部分ですが、南無阿弥陀仏というのは本当に大宇宙の諸仏が絶讃する名号ですよね。

南無阿弥陀仏は全ての人を絶対の幸福にする力があります。
人はなぜ生きるのか、何の為に生きているのか、なぜ苦しくとも生きていかねばならないのか、南無阿弥陀仏を頂くとその答えがハッキリするのです。

さて、南無阿弥陀仏とは少し話が変わりますが「和顔愛語」という仏教の言葉を知っていますか?、私はこの和顔愛語という言葉が大好きです。笑顔でいることは人を幸せにし、自分の幸せにもつながるという意味だと私は思っています。笑顔は見返りを求めてするものではないですよね。自分の笑顔で人を幸せにする・・・こんな素敵なことはないと思います。

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4月
14

南無阿弥陀仏という名号

みどり | 南無阿弥陀仏とは

南無阿弥陀仏とはなにか?
蓮如上人は『御文章』に分かりやすく教示されています。

『「南無阿弥陀仏」と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大なること更にその極まりなきものなり』(御文章)

【南無阿弥陀仏】の名号はたった六つの文字だから、その南無阿弥陀仏という言葉にそんなに凄い力があるとは誰も思えないでしょう。
しかしこの南無阿弥陀仏という六字の名号の中には、私たちを最高無上の幸福にする絶大な働きがあり、その広大さは、上をみれば果てしなく、底をみれば深さがしれない、まさに天の際限のないようなものである、と懇切丁寧にかかれています。

親鸞聖人も「功徳の大宝海」と、南無阿弥陀仏は宝の海のようなものだと正信偈に言われていますね。

大変な功徳が南無阿弥陀仏の六字にはあるのですが、猫に小判、ブタに真珠といわれるように、我々凡夫(人間)に、南無阿弥陀仏の値を知る智恵が無いので、その凄さが分からないのですね。

お釈迦さま、親鸞聖人、蓮如上人が絶讃する【南無阿弥陀仏】。それには、一体どんな力があるのでしょう。それは、全人類の苦悩の根元である無明の闇(後生暗い心)を一念でぶち破って、絶対の幸福に救う、破闇満願の働きであり、それは不可称不可説不可思議の大功徳なのだと教えられています。

南無阿弥陀仏の意味、南無阿弥陀仏の尊さを知ると、なんだか元気がわいてきます。
生きがいです。

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4月
3

南無阿弥陀仏に関すること

みどり | 南無阿弥陀仏とは, 南無阿弥陀仏・親鸞聖人

今回は浄土真宗の御本尊である「南無阿弥陀仏」について書きたいと思います。

・浄土真宗の正しい御本尊

御本尊とは、『根本に尊ぶべきもの』で、時や所、人によって変わるというものではなく、宗教、特に仏教では、最も重要な意味を持つものです。
では、浄土真宗の正しい御本尊は何でしょう。親鸞聖人は生涯、御名号・南無阿弥陀仏のみを御本尊となされていました。
それは、多くのお聖教にも明記されている歴史的事実なんですね。そして聖人は私たちにも、南無阿弥陀仏を本尊としなさい、と教え勧められています。親鸞聖人は南無阿弥陀仏のみを本尊とされていたということです。

・『浄土真宗』の本尊と『他流』本尊の違いについて。

この親鸞聖人の教示を、蓮如上人も分かりやすく教えられています。

『他流には「名号よりは絵像、絵像よりは木像」というなり。当流には「木像よりは絵像、絵像よりは名号」というなり』(御一代記聞書)と書かれています。

『当流』とは親鸞聖人の教えです。
、南無阿弥陀仏の『浄土真宗』のことですが、『他流』は真宗以外の教えのことなんですね。他流では、名号より絵像がいい、絵像より木像がありがたいと言っているそうですが、南無阿弥陀仏の浄土真宗では、木像や絵像よりも、御名号を本尊とするのが最もよいとおっしゃっているのです。この両聖人の教導に従って、浄土真宗では、専ら南無阿弥陀仏の御名号を本尊としているのです。

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3月
3

南無阿弥陀仏・大宇宙の功徳の結晶

みどり | 南無阿弥陀仏とは

南無阿弥陀仏とはどういった始まりだったのでしょう?

大宇宙の功徳の結晶というのは御存じでしょうか?いくら病気を治す原理が宇宙に存在していても、それを発見し、それに則って医師が薬を作らなければ、病気を患っている患者を救うことはできませんよね。

いわば【南無阿弥陀仏】は、“万人の苦悩を抜き取り永遠に幸福にする”という真理を体現した阿弥陀仏が創造した妙薬に喩えられているようです。はるかなる過去から汚れきって、微塵のまことの心もなく、苦から離れ切れない我々を憐れみ、救わずはおかぬ熱い思いで奮い立った弥陀が、気の遠くなるくらいの長期間に、誠心誠意、全身全霊の修行の末に、大宇宙の功徳(善)を結晶されたのが、【南無阿弥陀仏】の名号だと教えられています。

『教行信証』には、その経緯(いわゆる名号のいわれ)を次のように詳述されています。
ちょっと専門的ですが・・・

『一切の群生海、無始より已来、乃至今日・今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心無く、虚仮諂偽にして真実の心無し。ここを以て、如来、一切苦悩の衆生海を悲憫して、不可思議兆載永劫に於て、菩薩の行を行じたまいし時、三業の所修、一念・一刹那も清浄ならざる無く、真心ならざる無し。如来、清浄の真心を以て、円融・無碍・不可思議・不可称・不可説の至徳を成就したまえり』(教行信証)

すべての人間は、はるかな遠い昔から今日に至るまで、邪悪に汚染されて清浄の心はなく、たわごとのみで、まことの心というのはまったくない。かかる苦しみ悩む一切の人々を阿弥陀仏は悲しみ憐れみ、何とか助けようと兆載永劫のあいだ、心も口も体も常に浄らかに保ち、その清浄なまことの心で、全身全霊、ご修行なされて、完全無欠の不可称・不可説・不可思議の無上の功徳である南無阿弥陀仏を完成されたのです。

南無阿弥陀仏というのは単なる文字でもなければ、符号でもないんですね。

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2月
13

南無阿弥陀仏・念仏を称えたら

みどり | 南無阿弥陀仏とは

南無阿弥陀仏・・・誰でも一度は聞いたことがあるでしょう。

【念仏を称えたら誰でも極楽へ往ける、と教えたのが親鸞聖人】という、世に蔓延している迷妄があります。

真宗の道俗ですらそういった考えになるのですから、まして一般大衆は皆、それに間違いないと思い込んでいるのが現状ではないでしょうか。
その有力な根拠となっているのが、実は『歎異抄』であったそうです。全章にわたって『念仏』の二文字が強調される『歎異抄』ですが、とりわけ有名なのは第二章、すなわち、『親鸞におきては、「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」と、よき人の仰せを被りて信ずるほかに、別の子細なきなり』の一文です。

この『ただ念仏して』を、『ただ口で、南無阿弥陀仏と称えて』と間違った理解して、『聖人は、ただ南無阿弥陀仏と念仏を称えて救われたのだ』と誰でも信じ込んでしまったのです。『歎異抄』は縁が浅い人が読むと誤解する、と歎異抄を封印されたのは蓮如上人でした。
その『御文章』の至るところに、『いくら念仏称えていても助からぬ』と記されています。
そのいくつかを紹介しましょう。

【御文章より】
『名号をもって、何の心得も無くして、ただ称えては助からざるなり』(一帖十五通)

『ただ声に出して念仏ばかりを称うる人は、おおようなり。それは極楽には往生せず』(三帖三通)

『まず世間にいま流布して旨と勧むるところの念仏と申すは、
ただ何の分別もなく南無阿弥陀仏とばかり称うれば
皆助かるべきように思えり、それはおおきに覚束なきことなり』(三帖五通)

このような証文というのは、多数に上ります。『ただ念仏さえ称えていれば皆助かる』というのは、断じて親鸞聖人の教えではないということを覚えていていただきたいと思います。

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1月
29

南無阿弥陀仏とは

みどり | 南無阿弥陀仏とは

南無阿弥陀仏と称えているのを聞いたことはありますか?おじいちゃんやおばあちゃんと住んでいた方などではよく聞いていた念仏でしょうね。私もおばあちゃんが生前に、毎日南無阿弥陀仏と称えていたことをよく覚えています。

親鸞聖人、蓮如上人のご教示に従って、『南無阿弥陀仏』の六字の御名号というものが、いかなるものかを解説していこうと思います。

『老少善悪をえらばず、絶対の幸福に救う』と誓われたのが、『阿弥陀仏の本願』です。
ですが、どんな立派な『願』であっても、それに伴う『行』がなければ一切成就しないものです。

「願」と「行」の関係について、
ある道楽息子と老いた母親との話を通して書いてみたいと思います。

あるところに道楽息子がおりました。
いつも不孝ばかりを続けています。
ところがある日、道楽息子はこういいました。
、
『おっ母、おっ母の仕事をしている姿を見ると、
目をショボショボさせて鼻汁まで流して元気がない。
どうだ京都見物でもしてこようではないか』

おっ母は非常に喜んで、

『お前はいつからそんなに孝行者になったのかい。
長生きはするものだ。ではワシを連れていってくれるか。』

『連れていかないでどうするか、
先の短いおっ母を働かせてばかりいては、気の毒だ。
オレも一緒に行くぞ。』

と息子が言えば、母親はシクシクと嬉し泣きしている。

『じゃそれでお前は、路銀(ろぎん、交通費のこと)はどれだけ持っているのかい』
と尋ねると、道楽息子は狼狽して、

『とんでもない!オレは連れて行ってはやれるが、
路銀宿銭は一切おっ母が出すんだ。』

すると怒ったおっ母は、寝転んでいる息子の頭に
持っていた土瓶を投げつけると、

『これは路銀(ろぎん)じゃない“土瓶(どびん)”だ』

と道楽息子が言ったという笑い話があります。。

おっ母を連れていってやりたいという『願』はあっても、
路銀がなければ京都見物はさせられない。
この息子のような『阿弥陀さま』では我々は救われないのです。

この路銀をつくるのに兆載永劫の苦行がなされたのであります。
願いが遠大であるゆえに、その願いを成就しなければ、
する行もまた遠大にならざるをえません。

『すべての人を、必ず絶対の幸福に救う』という誓いを実現するために、
阿弥陀仏は『南無阿弥陀仏』という六字の名号を作られたのです。

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